翻訳と辞書
Words near each other
・ ジャン2世 (オーヴェルニュ伯)
・ ジャン2世 (キプロス王)
・ ジャン2世 (フランス王)
・ ジャン2世 (ブラバント公)
・ ジャン2世 (ブルターニュ公)
・ ジャン2世 (ブルボン公)
・ ジャン2世 (ロレーヌ公)
・ ジャン2世・ド・ベリー
・ ジャン2世・ド・リュクサンブール (リニー伯)
・ ジャン3世
ジャン3世 (ブルターニュ公)
・ ジャン4世
・ ジャン4世 (ブラバント公)
・ ジャン4世 (ブルターニュ公)
・ ジャン4世・ド・ブロス
・ ジャン5世 (ブルターニュ公)
・ ジャン=ジャック・アノー
・ ジャン=ピエール・ダルデンヌ
・ ジャン=ピエール・ロリ
・ ジャン=ポール・レヴェック


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ジャン3世 (ブルターニュ公) : ミニ英和和英辞書
ジャン3世 (ブルターニュ公)[じゃん3せい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
ブル : [ぶる]
 【名詞】 1. bull 2. (n) bull
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate

ジャン3世 (ブルターニュ公) : ウィキペディア日本語版
ジャン3世 (ブルターニュ公)[じゃん3せい]

ジャン3世(Jean III de Bretagne、1286年3月8日 - 1341年4月30日)は、ブルターニュアルテュール2世リモージュ子爵マリーの長男。
母マリーからリモージュ子爵位を継承したジャン3世は、1301年から1314年、1317年から1331年までリモージュを治めた。
父の跡を継いでブルターニュ公となると、彼は父と2度目の妃ヨランドの結婚の正統性に挑み、アルテュール2世の遺産に対しての長い闘争を開始した。1315年、彼はルイ10世が行った対フランドル遠征に参加した。彼はフランス王側についてフィリップ・ド・ヴァロワ(のちのフィリップ6世)とともにカッセルの戦いに挑み、負傷している。
1316年、彼はエルミーヌ(イタチ)の紋様を好んで自らの紋章を変えた。これは現在もブルターニュを表すものとして残っている。
子供がないジャン3世は自らの相続人として最も近い異母弟ジャン・ド・モンフォール(彼の憎んだ継母の生んだ子)と複雑な関係にあり、自らの死後はブルターニュをフランス王領にしたいという思いがあった。彼は同母弟ギィの娘であるジャンヌ・ド・パンティエーヴルを、フィリップ6世の甥であるシャルル・ド・ブロワと結婚させた。
1338年、ジャン3世はフランス王支援のためブルターニュ艦隊を低地諸国のスロイスへ送ったが、艦隊はイングランド海軍に撃破された(スロイスの海戦)。その後彼はフィリップ6世支援に向かい、フランドルから帰路の途中のカーンで死去した〔Célestin Hippeau, ''L'abbaye de Saint-Étienne de Caen, 1066-1790'', Caen, A. Hardel, 1855; 104〕。
ジャン3世が継承問題を片付けなかったため、彼の死後ブルターニュ継承戦争が始まった。
==結婚==
ジャン3世は3度結婚しているが子供がなかった。1度目、2度目の妃とは死別している。
*1297年 - イザベル・ド・ヴァロワ(シャルル・ド・ヴァロワとマルグリット・ダンジューの子)
*1310年 - イザベル・ド・カスティーユ(カスティーリャ王サンチョ4世の子)
*1329年 - ジャンヌ・ド・サヴォワ(サヴォワ伯エドゥアールの子)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジャン3世 (ブルターニュ公)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.